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2004年11月22日

心の聖地のこと

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大学一年のとき、私は松本にいた。
世間知らずだった私はとあるカレー屋に入り、完全敗北を喫した。

カレーは戦いだ。

戦いにおけるノウハウを何も知らなかった私は、オアシスともいうべき具のジャガイモとゆで卵を早々に消費し、水を恥ずかしげもなく飲み、敗北宣言というべきラッシーを頼んでなんとか完食した。
長距離走を終えたランナーのようにサラサラの汗を流し、負けたくせに爽快感だけは残っていたことを、次の日トイレで起こった悲劇とともに覚えている。

なにもつらいのなら食べなければいいのにとも思われるだろうが、困ったことにうまいのだ。
ただ辛いだけではなく、うまさを表現するための必然としての辛さ。

そこには世界があった。
以来、求道者となった私はことあるごとに店に通い、世界の片鱗に触れたものだ。

その店をメーヤウという。
そして、メーヤウをメーヤウたらしめているカレーの名をインド風チキンカリーという。

タイ風レッドカリーの方がおいしいとはいう意見も多く、私もそれに賛成なのだが、どうしてもインド風チキンカリーの何かが私を惹きつける。
危険なまでの常習性はある。
うまいのも否定しない。
しかし、惹かれる理由を言葉にすればするほど、言葉にできなかった何かが心の中にひっかかる。
そして、インドチキンカリーを食べた人は誰もが哲学者になる。

つまるところ、食べて、そして感じるしかないのだろう。

さて

カレー魂の傀儡となった私が、ファーストインパクトのメーヤウを巡礼しないわけにはいかない。
これがよくしたもので、松本にあるメーヤウの兄弟店が神保町にある。

メーヤウはもともと東京の信濃町にあり、お店で修行した人たちが松本と早稲田と神保町に店を出していて、同じ名前の看板を掲げている。
ただ、不思議なことに松本と早稲田と神保町の味は似ているものの、信濃町店だけは少し味が違う上に、インドチキンカリーにあたるカレーの名前がメーヤウカレーとなっている。

横浜カレー博物館がオープンした当初、メーヤウ信濃町の支店が出店されており、行って食べたものの、私の中のメーヤウ性と呼ぶべきものは若干しか含まれていなかった。
横浜カレー博物館に一度しか行かないまま月日は流れ、あるとき気づくと支店はなくなっていた。

会社の後輩を誘いお昼ご飯に行ってきた。
会社から歩いて15分。
神保町の三省堂の近くにあるマクドナルドの隣の道をずっと水道橋方向に入っていき、あきらめるくらいに歩いた場所にその店はある。
遠いといえば遠いのだが、大学時代に松本を離れ、60kmくらい南の伊那という町に住んでいたときに、友人たちとただメーヤウのカレーを食いたいがためだけに、よく松本まで車を飛ばしたことを思えば近いものだ。

お昼どきなので店内はいっぱい。
カウンターに通された。
ただよう店内の香りに私の眠っていた脳細胞がごそごそと起き始める。

私はタイ風レッドカリー、後輩はインド風チキンカリーをたのむ。

久しぶりの修行に気分が高揚する。
来るたびに、自分が試されているような気になるのだ。

待つこと数分。
カレーが出てきた。

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まずは私の頼んだタイ風レッドカリーから手をつける。
ココナッツミルクをベースとしたカレーで、具には大根とタケノコが入っている。
口にすると軽い香りが鼻腔へと抜けていく。
そしてタイムラグを置いてジャブのような辛さがやってくる。
入っている緑の葉っぱを刻んだやつがうまいのだ。
インド風チキンカレーよりもマイルドとはいえ、髪の奥から汗がにじんでくる。

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相変わらずメーヤウがメーヤウであったことに安心しながら、テーブルの上にある青唐辛子のナンプラー漬け(ナンプラープリック)をご飯の上にかけていく。
これをいっしょに食うと、ナンプラーの香りと青唐辛子のジャリッとした苦味があわさって、より深い味になるのだ。

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後輩は横で一口目で「うっまー! なんだこれ!」と叫んでいる。
インド風チキンカリーの第一印象とはそういうものだ。
しかし、見ているとだんだん辛さが体にたまってきたらしく、汗が噴出し口数も少なくなってくる。
インド風チキンカリーの辛さは各種スパイスによる総合力の辛さだ。
だからただシンプルに唐辛子の辛さのピークだけがそびえているわけではなく、トップの華やかな辛さから、後引きの強いボディーブローのような苦味に近い辛さまで、満遍なく堪能させてもらえる。
スパイスのラッシュを受けていながら、「うまい。なんだろう」と自問自答を繰り返している。
たいした奴だ。

私も、もらって食べてみる。
これだ。
「これ」としかいいようが無い。

インド風チキンカリーの色は黄色がかった茶色で表面には赤い油がにじんでいる。
具は良く煮込まれた手羽元とジャガイモとゆで卵だ。
ジャガイモとゆで卵は時折食べることで自分の位置を確認し再び挑むための、休息地点のようなものだ。
だから早く食べ過ぎても残してもいけない。

もちろん水を食べている途中で飲んではいけない。
カレーに浸っている空間に水を注されるからだ。

私がタイ風レッドカレーを完食してからしばらくして、後輩もインド風チキンカレーを食べ終わった。
私も後輩も顔に玉の汗が浮かんでいる。

サービスのラッシーを飲んで外にでる。
涼しく乾いた風が熱くなった体を冷やしてくれる。

「カレーってスポーツっすね。
さわやかに食べると芸術点が高いんすよ。
そのうちオリンピック正式種目になりますよ。
間違いないっすよ。」

長い帰り道の中で後輩が口にした。

彼も求道者になったようだ。

メーヤウ(神保町店)
〒101-0064 東京都千代田区猿楽町2-2-6
TEL 03-3233-0034

2004年11月12日

アキバとインド人のこと

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私の中のカレー魂に火がついた。

こうなってしまうとお昼は確実にカレー。
午前中は、どこのカレー屋に行こうかとばかり考えている。
毎日がカレー曜日だ。


アジア文化会館に行った次の日は立ち食いのジャンボカツカレー500円也でごまかしたら、私の中のカレー魂が癇癪を起こし、「俺の食べたいカレーはこんなんじゃない」と、おっしゃる。

というわけで、私のカレー魂さんをなだめるために、前から気になっていた東神田のカレー屋に行ってみることにした。

私の職場は神田にあり、歩いていける距離にカレーの名店がひしめき合っている。
横浜カレー博物館のオープン当初、出展しているお店のうち3店が会社から歩ける距離にあって、驚いたものだ。

だから行ったことのないカレー屋も多く、その中でも気になる店があった。

秋葉原のはずれのはずれ、もう浅草橋のほうが近いんじゃなかろうかと言うところに、ぽつんとカレー屋があり、車で移動するときに前を通りがかると、時々行列ができていた。
その店をDAAWATという。

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会社からは少し距離があるので、アメ横への買出しのついでにと、自転車で目指す。

着くと店内は人でいっぱい。
夫婦と思しきインド人が店員で、奥さんぽい華奢な人が相席で通してくれた。

お昼は2つのカレーを選ぶセットと、食べ放題コースがある。
食べ放題の場合はライスとナンとカレーが食べ放題。

なんとなく食べ放題にした。

今日のカレーはキーマカレーと鶏肉のグリーンカレー。

ナンは切らしていたので先に2種類のカレーとライスを盛って席に着く。
ライスは短粒種に油がかけてあり、粘り気が少ない。

グリーンカレーを食べてみるとあまりの辛くなさに拍子抜けした。
キーマカレーも辛くない。

メニューを見ると、セットのほうは辛さを5段階から選べたようだ。
しまった。

味は普通のカレー。
神田のガード下にある、アジアの夜明けに似ている。

とりあえず1皿目を食べたところでナンが焼きあがったので、カレーだけ盛ってくる。

ナンはさっくりとしていておいしい。
小麦粉の香りも強くなくさらりとしていて、カレーをよく吸ってくれる。

大学時代なんとなくそうしなきゃいけないものだと思い込んでいたため、ナンでカレーを食べるときは、右手だけでちぎって食べれるように練習した。
人差し指と中指でナンを押さえて、残りの指でナンを引っ張るのだ。
だからどうと言うもんでもないのだが、できるようになると、なんとなくうれしかったものだ。

食べ終わった後、自転車でアメ横に自転車を走らせた。

頭の表面の汗が風に乾いて涼しかった。

2004年11月11日

アジア文化会館地下食堂のこと

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久しぶりに学食で飯を食った。

いつ、どこで、なにから聞いたかは忘れてしまったが、アジア文化会館の地下食堂のカレーがうまいらしいことは、けっこう前から知っていた。
アジア文化会館は、千石にある、留学生が暮らす寮と、日本語学校が合わさった国の施設だ。
そこの地下食堂は、留学生達の意見に鍛えられて、本場さながらの味になっているらしい。
ただ昼間しか営業していないことと、千石には普段行く用事がないことが難点だ。

珍しく板橋方面に仕事があったので行ってみることにした。

場所は都営三田線千石駅を降りて徒歩3分の、向かいには公園を併設した高層マンション、近くには小学校という住宅街の中。
白い4階建てくらいのアパートみたいな外観。
外ではテントを立ててアジアンなお弁当を売っていた。

テントの奥に扉があり中に入ると、前方に扉と左に階段しかなく、ずいぶんとこぢんまりとした印象。
薄暗く、とりあえず地下に行けば食堂があるだろうとあたりをつけて、階段を下りる。
階段を降りて右を見ると、イスラム教の人たちが床に絨毯を敷いてお祈りをしていた。
左側を見るといきどまり。

どうやら別館と間違えたらしい。

そそくさと一階に戻って、本館へ移動する。

本館は別館よりも心持ち広い感じで、卓球をしている人達がいた。
いわゆる大学の寮の雰囲気。
なんだかなつかしい。

地下に降りて、食堂にたどり着いた。
学校の一クラスくらいのスペースに、向かい合って座れる長テーブルが10脚くらい。
もちろん地下なので窓はない。
天井には暗めの蛍光灯。
今日のメニューがショーケースに入っており、そのプラスチックの食券を自動販売機で買う、いわゆる学食スタイル。
今日のメニューはタイカレーとインドカレーとダブルカレーとフォーと中華風肉野菜炒めと螺貝と野菜の炒め物ですべて550円。
カレー2品、中華2品、麺1品。
自動販売機には「李さんのちまき」というのがあったけど売り切れになっていた。
気になる。

ダブルカレーの食券を買い、トレイを持って中国人風のお姉さんに食券を渡し、カレーを受け取る。
ああもう学食。

適当に空いている席に座る。
周りのほとんどは各国からの留学生。
何カ国語が頭の上を飛び交っているのかわからない。
私の後ろでは先生と思しき人が、見たこともないフルーツを剥いている。
異国だ。
それなのにどうしようもなく見慣れた風景だ。
パラレルワールドみたいな場所だな、ここは。

ダブルカレーは小皿にインドカレーとタイカレーが入っており、ご飯と味噌汁がついている。
スプーンとフォークで食べる。
タイ式だ。

インドカレーには飴色になったタマネギがたっぷり入っている。
少し透き通っていて、中にいろんなスパイスが見える。
具は手羽元。
食べてみるとそれほど辛くはない。
とけ込んだ野菜のうまみを感じる。
スパイスをかみしめたときに、それぞれの香りがただよう。
荒削りな強さがありながら、押しつけがましくない。
カレーというよりブラウンオニオンのスパイス煮込みといった印象だ。

タイカレーはタケノコとナスのココナッツミルクカレー。
市販のカレーペーストよりもひと味ふた味違う感じ。
ココナッツミルクたっぷりでうまい。

食べ終わった後で、味噌汁を飲む。
海外旅行を終えて、飛行機の機内食で和食を食べているような気分。

中華料理も本場の家庭料理のような感じなので、また機会があれば食べに行きたいな。

なによりも550円で、海外にもない空気を吸えるところはそう無いよ。

2004年11月10日

きになること

FRaUの占い特集。

グロリアス星子の
「ふってやる! 辞めてやる! もうたくさん!」占い

ってどんなだよ。

そのうえ、

「ナイゾーくん占い
 五臓六腑に幸せの予感!?」

だよ。
とんでもないな。

2004年11月09日

ほくほく線とブレイクスルーのこと

今回通ったほくほく線って奴は新幹線以外の営業電車の中でスピードが一番速い、ってな話を昔聞いたような気がして、友人に尋ねてみると以下のようなメールをもらった。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
鉄道(在来線)の最高速度は、普通鉄道構造規則により、非常制動距離が600mであることとなっていましたが、法令が改定されて、条文は削られ、認可時の原則となっているようです。

その制限のため、技術的にか、現在、通常、在来線の最高速度は、120km/hになってたり(普通列車で、110km/hか)するのですが、JR東海は新快速を120km/hで走らせてて、へたな東日本の特急より速かったりします。
さらには、JR西日本は新快速の一部区間を130km/h運転して、昔、京都-新大阪-大阪-の新快速を、京都-高槻-新大阪-大阪-と停車駅を増やしてもほぼ同じj時間というか、評定速度で走りきったりします。

で、681系サンダーバードなんかも、最高速度130km/hで走行しますし、北越急行ほくほく線は、
対新幹線(スーパー特急?)構想的なものもあってか、徹底した高速化対応で、同じく681系車両
にて特急はくたかを160km/hの営業運転を行ってたりします。(非新幹線最高速)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

ということのようだ。

どうやらかなりほくほく線は名前のゆるさに反して熱い奴らしい。
適度な不自由さと、気合と根性があるからブレイクスルーができるって気がする。

一ヶ月ほど前にこのようなニュースがあった。
石・政府税調会長:「発泡酒は酒文化損なっている」
http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2004/10/13/20041013ddm008010068000c.html

酒税の隙間をぬってひねり出してきた発泡酒がおいしくないから、みんな焼酎を飲むようになったんだ。
というような内容のことを話したらしい。

そんなおじさんのたわごと自体はどうでもいい。
ただ「酒文化を損なう」という一言がひっかかって仕方が無い。
ここでいう「酒文化」という言葉とこの文章の内容がしっくり来ないのだ。

酒の歴史は権力との戦いの歴史でもある。

権力者たちは昔から酒を権力の下に置こうとした。
古代バビロニアから20世紀のアメリカまで禁酒法が制定されたことは多いし、禁止はしなくとも何かにつけて税金をふんだくろうとしてきた。
日本においても、聖武天皇の時代や北条時宗の時代に禁酒令が出されているし、神社や寺で麹や酵母を管理することで、実質的に酒を造る権利を制限していた。

それに対して民衆は密造という形で抵抗した。
スコットランドにおいては人里はなれた山間部でこっそりと醸造酒を造り、木の樽に入れて保存した。
アメリカにおいては禁酒法時代にマフィアたちが粗製アルコールを造った。

スコットランドの密造酒は蒸留するときに仕方なしに使った燃料の泥炭(ピート)と、保存されるときに入れられた木の樽の香りが移り、なんともおいしい酒になった。
アメリカにおいては匂いの強いアルコールを飲みやすくするために、ジュースやスパイスを入れ、おいしい飲み方を開発した。
それぞれ言うまでも無くスコッチウィスキーとカクテルのことだ。

すべては結果論だが、権力の圧力があったから酒の文化の幅が広がったとも言える。
発泡酒というものが必ずしも必要かはわからないが、発泡酒が酒の文化を広げているということは間違いない。
だってドラフトワンなんかすごいよ。
根性の座ったあげあし取りだよ。
よくやったよ。

適度な不自由が生み出すブレイクスルーは歓迎すべきだ。
それがあるから新製品は面白い。

2004年11月08日

地震とその後のこと

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11月5日の金曜日は、新潟県の柏崎へ出張だった。

柏崎は10月23日に発生した2004年新潟県中越地震の震源地からほど近くにある海辺の町だ。
今までであれば東京から長岡まで上越新幹線に乗り、長岡から柏崎まで信越本線で移動していた。
ところが上越新幹線は長岡の手前で脱線しており、信越本線も長岡~柏崎間で不通になっている。
11月2日からほくほく線の営業が再開されたので今回は

東京~越後湯沢(上越新幹線)
越後湯沢~直江津(ほくほく線・特急はくたか)
直江津~柏崎(信越本線・地震臨時快速)

というルートで行き、帰りは少し時間がかかるけれど

柏崎~長野(信越本線・地震臨時快速)
長野~東京(長野新幹線)

というルートで帰ってきた。

現行臨時列車がどのようなダイヤで動いているかはJR東日本のページに詳しい。

山にはさまれた越後湯沢に着いて、まず感じたのは紅葉の美しさ。
頂上には葉が無く、黄色から赤へとグラデーションしている。
天気も良かったので、トンネルから出たばかりの私の目にはまぶしすぎる。

新潟のNHKでも言っていたが、新潟県全体の温泉旅館で旅行客が激減して大打撃を受けているとのこと。
何も無ければ紅葉の行楽シーズンで、たくさんのお客さんが訪れるはずが、今年は地震の影響でキャンセルが相次ぎ、がらがらになっているらしい。

越後湯沢駅からでは地震の面影は見えず、ただただ紅葉の美しい観光地だった。

ほくほく線に乗り換えて、十日町を通りがかったとき、墓石が倒れたらしく、墓地にブルーシートがかかっていたが、それ以外にはごく普通の町並み。

直江津でぶりのカマ焼き定食を食い、柏崎へと移動。

柏崎駅前には長岡への臨時直行バスが3台停まっていた。

仕事を済ませて帰宅。

帰るときに関越道が全面開通したというニュースを聞く。

今でも余震が続いており、被災地の人たちは眠れない夜を過ごしていることだろう。
起こった地震さえも日常に組み入れてしまえる日がくることを祈る。

帰ってきてからとあるサイトでこうの史代さんの「夕凪の街 桜の国」という漫画を知る。
夜遅くはあったものの、近くのTSUTAYAへ買いに走った。

今日は一日、地震があったということを、私自身がどう受け入れればよいか考えていた。
その答えが「夕凪の街 桜の国」にあるように感じた。
時の縁というのはあるものだ

まだ言葉にはならないが、そのうちゆっくり折り合いをつけれるかもしれない。

2004年11月04日

薄PS2解体

さて、新しいゲーム機が出るたびに解体し続けてきたPC WATCHが今回もやってくれました。
薄PS2解体
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2004/1103/ps2.htm

ゲーム機解体とか、年賀福袋の中身とか、エイプリルフールのPCうおっちとかインプレスのバカ企画は好きだな。
昔のEYE COMのCPUで目玉焼きの感覚。

キャットウーマン

六本木ヒルズでキャットウーマンを見た。

さえない化粧品の広告デザイナーのハルベリーが、会社の秘密を知って殺され、エジプト猫の力で蘇って、ばいんばいんのキャットウーマンになるってな話。

引っ込み思案で、何もかもあきらめがちな女の子が、エジプトにゃんこパワーで、やりたいことをばんばんやっちゃう愉快痛快映画。
なんだかんだで巻き込まれ型ヒーローなところがかわいい。

アクションシーンに関しては、スピード感がよく気持ちよく見れた。
階段を駆け上るシーンを見た感じでは、あまり運動神経良くはなさそうなので、ほぼ代わりの人だと思うが、まったく気にならない。
止め絵をバシッと決めて、アクションでその間をつないでいる感じ。
あずみもそうだったが、まったくアクションができなくても、強く見えてしまうカットや演出を作ってしまう監督はすごいね。

ハルベリーのセクシーさが、これでもかとさらされて、おなかいっぱい。
ただ歩くだけでかっこいい。
映画を見終わった後、歩くときになんとなくマネをしてしまう。
ヤマカシを見終わった後に、どこかよじ登れそうなところを探してしまう感覚に似ている。

久しぶりにオススメ映画。

以下、ネタバレを軽く含みます。

内容は、キャットウーマンを追う刑事と恋仲になっちゃって、まるでキャッツアイと聞いていたが、そのとおり。
猫つながりか?

恋仲になる刑事がハルベリーの職場に来るなり、同僚のお姉ちゃんや、ゲイのお兄ちゃんが「セクシー!」と褒め称えるのだが、男である私にはよくわからんかった。
一緒に見ていた彼女に、セクシーだったかどうかと聞くとセクシーだったと言う。
だってその刑事の男、マトリクスのミフネ船長の若いころみたいな感じなんだよ。
いやはや男のセクシーとは奥が深い。

ラストシーンを見たところでは、キャットウーマン2を作るつもりみたい。
今回路上に飛び降りてきたキャットウーマンに、愛車のジャガーをわけもわからず盗まれてしまったアホな男には次回も出てもらって、ライオンマークのプジョーか日産のレパードか戦車のタイガーでも盗まれてほしいね。

髪の毛を切った後のハルベリーが研ナオコみたいだと言ったら、彼女にへこまれた。

2004年11月03日

上田健さんの写真集

BOOKOFFで写真集を買った。
上田健さんのロケットの写真集「BLASTOFF」と「STAND BY」だ。

両方とも絶版になっており、丸の内にあるJAXAJAXAiでしか見たことがない。

「BLAST OFF」はH-Iロケットがメインの写真集。
H-Iの実験中、製作時、移動、組み立て、打ち上げの写真が載っている。
とくに、9つもある固体燃料ロケットが花が開くように分離して落ちていく写真が美しい。
今ではH-II以降の話ばかり出てくる気もするが、1988年当時としてはH-IIロケットへの夢を託しながら、H-Iロケットへの現実的な期待感と誇りを持っていたことを感じる。

「STAND BY」は1992年当時の日本、ヨーロッパ、旧ソ連、アメリカの宇宙開発の写真集。
NASDAのH-Iロケット、H-IIロケット実験機、ISAS試作中のM-Vロケット、M-3Sロケット、NALのスペースプレーン風洞実験機、実験用スクラムジェットエンジン、ヨーロッパESAで製作中のアリアンIV、アリアンIII、ヘルメスのモックアップ、旧ソ連バイコヌール基地で組み立て中のエネルギア(!)、組み立て中のブラン(!)、アメリカNASAのスペースシャトル、とまあ、もりだくさん。
エネルギアとかブランとかどうして撮れたのかと驚かされる。
巻末には野田昌宏大元帥からの解説文と各写真の解説、各国のロケットおよびその実績が一覧表で載っており満足至極。
H-IIとM-Vの両ロケットを心待ちにしている時代の空気が伝わってくる。

両写真集とも宇宙への移動手段であるロケットに対する愛着と期待に満ちたいい写真集だった。

ところで私の買った「BLAST OFF」はサイン本だった。
サインを送られた人の名前が入っていたのだが、それが元NASDAの有名な人物だったのでそりゃもう驚いた。
私はそのNASDAの人の書いた本を持っており、その本のことを気に入っていたのだが、本に対しての意識がそのようなものなのかと思うと複雑な気分だ。

私は今の家に引っ越す前にたくさんの本を手放したのだが、残す本以外は、できる限り友人に引き取ってもらい、それでも残ったものだけ古本屋に売った。
そのときでも人からもらった本は人に譲ることはもちろん、ましてや売ることなんかできなかった。

いろいろな事情はあるとも思うが、なんとも釈然としない。

2004年11月02日

よくわからないこと

和歌山の中学校の理科の時間に生徒の指に針を刺して血液を採取し、顕微鏡で観察させたところ、保護者の抗議を受けて、市教育委員会が謝罪したらしい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041102-00000065-kyodo-soci

文面を読んだあと、なにが問題だったのかがよくわからなかった。


この内容で問題だったとするなら、

1.注射針で他人の腕に針を刺して血液を抜かせた。
2.傷口がふさがりにくい症状の生徒から血液を採取しようとした。
3.血液を流してはいけないという宗教の生徒から血液を採取しようとした。

ぐらいのことだが記事の文面からではよくわからない。

まさか本当に自分の指に針を刺させたことが問題だとするのならば、それこそよくわからない社会だ。
悲しいことだ。

2004年11月01日

新札報道

新札が発行されたという、会社の夕刊を見ていてあることに気づいた。

どこの新聞もおんなじ写真だ。


私は読売新聞と朝日新聞と日本経済新聞しか見ていないのだが、どれも東京・丸の内の三井住友銀行東京営業部で同じお姉さんが扇形に新一万円札、新五千円札、新千円札を重ねてお客さんに手渡している写真。
若干アングルは違い、推測するにお姉さんに向かって右から読売、朝日、日経の順番で撮ったと思われる。
日経の写真が一番お札をシャープに移していて、千円札と五千円札の番号まで見える。
朝日は物撮りっぽく札にだけピントを合わせてとても被写界深度の浅い画なので番号は見えにくくなっている。
ひょっとしたら画像処理ソフトで加工しているのかもしれない。
読売は引きの画なのでよくわからない。

日経と朝日の千円札の番号を見てみるとやっぱり一緒だ。

読売新聞の紙面に書いてあった「偽札防止へ指導強化」のためなのだろう。
同じ写真が供給されたわけではないようだけれども、報道統制を見せ付けられたようで少々気味が悪い。

電車サンタバニー

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井の頭線に乗っていると下北沢からサンタバニーの欧米人の男が乗ってきた。

ふつーに電車の席に座っているが、明らかにその周りの空気だけが異質だ。
でも周りの人たちは反応するでもなく空気のように流している。

聞いてみると今からハロウィンパーティーに行くのだそうな。

納得。